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小泉純一郎とアドルフ・ヒトラー
2005年 10月 01日
小泉純一郎 日本国総理大臣 ― 彼の政治手法は、まるでヒトラーの「我が闘争」を教科書として、そのまま現代に具現化しているかのようだ。
特にそう感じるのは「政治宣伝」「大衆扇動」「組織統制」の手法についてである。 『大衆の受容能力はきわめて狭量であり、忘却力は大きい。この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それを継続しなければならない』 ヒトラー『我が闘争』 小泉首相の掲げる政策は、できうる限り瑣末で複雑なことを排除し、きわめてシンプルだ。単純化したフレーズを何度も連呼する。政治に暗い大衆にも非常にわかりやすい。 しかも彼の演説は極めて「情熱的」に語る。その姿が印象的だ。 『さらに情熱のみが、情熱によって選ばれたものに対して、ハンマーでたたくように、民衆の心の扉を開きうることばを与えるのである。』 今夏の衆議院選挙戦に於いて、毎日のように彼が演説で言っていた事と言えば、- 郵政民営化 - ただそれだけであったといっても過言ではないだろう。 しかし、彼の「宣伝手法」は大当たりし、大多数の有権者が小泉純一郎を支持したのだ。 ◇◇◇◇◇ ◇ ◇◇◇◇◇ そして、今なお行われている最中である「造反議員」への報復措置。 「元は同じ釜のメシを食った仲間に、何をここまでしなくても…」と普通の感覚をもった人間なら思うかもしれないだろう。 彼の造反者に対する「徹底した容赦の無い態度」。 これも「ヒトラー」と非常に酷似した部分と見て取れなくもない。 ヒトラーは、逃亡兵や反逆者に対しては、ただ「死」のみがまっているのだと言うことを、言葉で言うのみならず、徹底して実行して見せ、自身の権力に対する絶対的忠誠心を、組織の末端にまで浸透させた。 以下のヒトラーの言葉は、逃亡兵は自民党の造反者、死刑宣告は除名処分と置き換えて読むことができてしまう。 『逃亡兵に、逃亡というものがまさしく自分が逃れようとしているものを、自分といっしょに運んでいるものだということを知らせることなのだ。前線では人は死ぬかも知れない、だが逃亡兵は死なねばならないのだと。逃亡しようとするものには、こういう峻厳な脅迫を試みることによってのみ、個人に対してだけでなく、また全体に対しても警告的な影響をねらうことができるのだと。(中略)徴募新兵は禁固や懲役ぐらいの脅迫ではだめで、ただ仮借なく死刑を適用することによってのみ、支えることができたのだ。』 ヒトラー『我が闘争』 ◇◇◇◇◇ ◇ ◇◇◇◇◇ 『大衆の投票用紙があらゆることに判決を下す今日では、決定的な価値はまったく最大多数グループにある。そしてこれこそ第1のグループ、つまり愚鈍な人々、あるいは軽信者の群衆なのである。』 ヒトラー『我が闘争2』 2005年 9・11 ― この選挙における大衆の選択が、賢明であったのか否か ― そのジャッジは歴史のみが明確に語るのだ。
by winner7
| 2005-10-01 07:11
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